odhiのブログ

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競馬界を超え、広く長らく愛された名馬、ナイスネイチャ。齢35歳にて、安楽死。追悼の声が相次ぐ。

1990年12月、

 

京都開催の中央競馬新馬戦でデビューを果たし、

 

1996年に引退するまで、通算41戦7勝

 

うち重賞を4勝という快挙を成し遂げ、

 

G1戦線での長い活躍の中で、3着という結果を量産し、

 

「ブロンズコレクター」の二つ名でも人気を博した、

 

殿堂入りの名馬、ナイスネイチャ

競走馬 ナイスネイチャ 無料画像 に対する画像結果

 

そんなナイスネイチャは、

 

脚の容態への不安から余儀なく引退となった後、

 

余生を過ごしていた北海道浦河町渡辺牧場で、

 

5月30日をもって、息を引き取りました。

 

引退馬協会が同日、発表しました。

 

35歳であったナイスネイチャ

 

この年齢は、

 

存命の日本中央競馬会(JRA)重賞勝ち馬としては最高齢であり、

 

人間なら100歳前後に相当する高齢です。

 

JRAによりますとナイスネイチャは、

 

体調を崩して放牧地や馬房で寝れない状態が続いていたそうで、

 

30日、遂に横たわったまま起き上がれなくなり、

 

獣医師との相談の上、安楽死させる決断に至ったそうです。

 

 

・ゲームキャラクターとしても知られる

 

またナイスネイチャは、

 

ゲームやアニメで人気の

 

ウマ娘 プリティーダービー」の公式キャラクターとしても

 

その名が知れ渡っており、

【競馬】ナイスネイチャ(33)が300万の寄付を募った結果、1日で700万も寄付される(去年は170万) 目標金額を即達成【ウマ娘効果か ...

 

ウマ娘」公式ツイッターでも追悼のコメントが投稿されていました。

 

また、

 

ウマ娘」交流サイトでも、

 

「長生きしてくれてありがとう」

 

「驚きと悲しみで涙が止まらないです。彼の偉大さに感謝します」

 

といった、

 

ファンの偲ぶ声が相次ぎました。

 

 

ナイスネイチャを振り返る

 

ナイスネイチャ

 

私にとって、正に

 

「青春の名馬」とも言える存在なのかなと思います。

 

とは言え、ナイスネイチャが鮮烈なデビューを果たした1990年当時は、

 

私恥ずかしながら、競馬そのものについて全く知りませんでした…

 

そんな私が競馬に興味を持ち始めたのは、

 

ネイチャもとうに引退してしまっている、2000年台に入ってからで、

 

父の影響から、

 

レースの映像をちょくちょく見るようになったのです。

宮島紅葉シーズンに行く広島観光名所と厳島神社をライブカメラで確認!

そこで私は、

 

オグリキャップトウカイテイオーテイエムオペラオーなど、

 

顕彰馬としても名高い数々の名馬を知ることになったのですが、

 

そんな中、一際目が釘付けになった存在が、

 

正に、ナイスネイチャだったのです!

 

1990年12月2日の京都でのデビュー戦は勿論、


同世代にして最大のライバル、トウカイテイオーとの、

 

4度の直接対決は、

 

これまで、何度その映像を見てきたか思い出せないほどです。

 

ネイチャの強みは、圧倒的な安定感だと思います!安定感 無料画像 に対する画像結果

 

例えば、テイオーとネイチャの、4度直接対決。

 

その結果だけをみると「2勝2敗」と

 

実質、五分と言えます。

 

しかしその内容は、

 

初対戦の91年若駒ステークステイオー1着、ネイチャ3着

 

翌92年天皇賞(秋)テイオー7着、ネイチャ4着

 

92年有馬記念テイオー11着、ネイチャ3着

 

93年有馬記念テイオー1着、ネイチャ3着

 

といったものでした。

 

正に、いかに安定した走りをする馬だったかを語るに十分な成績ですよね。

 

同世代の“カリスマ”との対戦成績を見て、改めて再認識できます。

 

もしかしたら、

 

「生で見てみたかった…」

 

という気持ちが一番刺激された馬だったのかもしれません。

カラで競馬観戦! | ナオコガイドのアイルランド日記

同世代のトウカイテイオーは、その93年有馬記念を最後にターフを去りましたが、

 

それからも、ナイスネイチャは戦い続けました。

 

94年1月AJCC(アメリカンジョッキークラブカップ)から、

 

96年11月アルゼンチン共和国杯まで18戦

 

その中には、

 

実に17戦ぶりの勝利となった、

 

94年高松宮記念も含まれていて、

 

61キロの酷量を背負った、

 

96年ダービー卿CT(チャレンジトロフィー)もありました。

 

テイオーという強力なライバルが引退した後も、

 

競馬ファンに魂の走りを見せ続けていました。



通算41戦7勝、その戦績以上にファンの心に残る馬だったように思います。

 

引退した後の存在感は、言わずもがなだろう。

 

晩年は「ウマ娘」フィーバーも重なり、

 

多くの年代のファンから注目を集め、

 

後輩の引退馬支援でも、かけがえのない馬になった。

 

シルバーコレクター、ブロンズコレクターなど、

金銀銅 無料画像 に対する画像結果

競走馬を評するにあたり、多くの表現がなされますが、

 

35歳まで立派に生き抜き、

 

持てる力最大限を、競馬界に尽くしてこの世を去ったナイスネイチャは、

 

あらゆる肩書きを超越した、偉大な存在だったように思います。

 

 

・競馬と人間関係

 

競馬ファンとして長きに渡って情報を見聞きする中で、

 

つい馬そのものを、人間関係によって

 

一層好きになることがあったりします。

人のつながり 無料画像 に対する画像結果

 

例えば、

 

ジョッキーの方や調教師の方、厩務員の方など。

 

大きい大会の前後や、その他様々なタイミングで、

 

そういった方々に取材が行われていたりもして、

 

多くのストーリーを知ることができ、

 

馬そのものへの思い入れも深くなるような気がするのです。

 

ナイスネイチャの場合、

 

特に種牡馬となってからや、晩年期の様子なども、

 

多様な情報媒体を通して見ながら、

 

そこに関わる様々な人達の話を聞けることも多くありました。

 

本当に、多くの人に愛され、

 

多くの、有形無形の宝物を残した馬だったのだなと、

 

ひしひしと感じました。